トライアドでは、メンバーにやりたい事があれば、会社として全面的に応援する体制を整えています。
もちろん業務に関わることが優先なのですが、新規に開拓したいことがあってチャレンジする意思があれば応援します。
誰もがチャレンジするときに、失敗したらどうする/どうなるのかが気になってしまいます。
この時に、責任を取らされてクビになったらどうしよう、給料を減らされたらどうしようと、失敗することを前提に考えるとチャレンジをやめてしまいます。
失敗して辛い思いや責任を取らされるのであれば、最初からチャレンジしない方が良いという考えになるのもわからなくもありません。
ただ、「失敗」や「責任」とは何でしょうか?
失敗は成功のもとだからチャレンジしたことを評価したい
失敗したというのは、何かを始めて成し遂げられなかった場合によく使われると思います。
トライアドでも、志し半ばでクローズしたサービスもあり、これを失敗と呼んでいます。
ただ、この失敗と呼んでいるものは、これ以上続ける気力や外部との連携をとる術を考えるのをやめたから続けられなくなって終わらせた、という経緯があります。
もしかしたら、成功をするということは、継続してやり続けていればいつか訪れることなのかもしれません。
トライアドのサービスも、熱い想いを持って継続できる道を常に模索し、チャレンジし続ければ失敗は訪れなかったかもしれません。
ただ、「失敗」は本当に悪いことなのでしょうか?
上手くいかなくてクローズしたら失敗かもしれませんが、サービスを提供した、外部と連携をした、という経験はチャレンジしたからこそ得られた素晴らしい経験です。
この経験を次のチャレンジに結びつければ、チャレンジしたサービスはネガティブな失敗だけにはなりません。
”失敗は成功のもと”と言われるように、原因を追求し次に活かせることを続ければ、失敗してもトライアドでは評価も下がらないし、むしろチャレンジした事を評価したいと思います。
責任は会社が取れば良い
よく「責任をとる」という表現が使われています。
この「責任」とは具体的にどういうことなのでしょうか?
社内で失敗をしたら、責任を取らなきゃいけないと考えてしまうかもしれません。
ただ、仕事でチャレンジした結果で、うまくいかなかったり、これ以上継続できなかった場合に、個人が責任を取らなければならないのでしょうか?
トライアドのような小さな会社で、このチャレンジをしなくなってしまうと会社の事業の広がりがなく、未来への発展が断たれてしまいます。
チャレンジした結果で、他社へ迷惑をかけたり、メンバーに負担をかけてしまったり、様々な問題が起きてしまうかもしれませんが、チャレンジした人が全ての責任を負わなければならないのでしょうか?
なんのために会社という組織があるかというと、何かあっても組織・チームで乗り越えていくために存在すると思います。
問題が起きて迷惑をかけてしまった方がいれば、社長が頭を下げ謝罪をしなければなりません。そのために、メンバーよりも高い給与をもらっているのです。
責任をとらなければいけないというプレッシャーは考えずに、いろいろなことにチャレンジしてもらいたいです。
チャレンジするのは楽しいこと
新しいことにチャレンジするのは、とても楽しいことだと感じて日々を過ごしてほしいです。
同じ作業を繰り返すことで習得できることもありますが、インターネット関連の世界では日進月歩で進化していくのですぐに古い技術になってしまうことがあります。
それであれば、新しいことにチャレンジして、常に新しいことを探求していくことも業界では大切なことかもしれません。
インターネットの世界では、スタンダードと呼ばれるものが廃れていくスピードがものすごく速いので、情報を吸収したら実践していかないとすぐに時代の流れに取り残されてしまいます。
トライアドは小さな会社でフットワークを軽くし、常に新しいことにチャレンジする環境を維持していきたいです。人数が多くなっても、いつまでもこの気持ちを忘れずに実践できるような会社でいたいと考えています。